「20世紀ヘッドロック」

 

text by Norikazu Sato

 

 2004年6月1日、正午すぎ。長崎県の佐世保にある小学校で、6年生の女の子が同級生にカッターで首を切られて死んだ。そのニュースがあった翌日に、私はこれを書いている。
 インターネットでもめたのが原因だったという。仲が良かった二人だが、インターネットという新しいメディアによって、この二人の仲は切り裂かれた。カッターを持った女の子は、口論さえもせず、目の前の友人の首を切りつけた。
 この事件に、誰がコメントできるだろう? 私はただ沈黙して画面を見ていることしかできなかった。繰り返されるニュースを見ていて、私は少しずつ自分が小学生だった頃のことを思い出していた。思えば、あの頃と今とは世紀がちがっているのだ。私の少年時代は、多くの人とおなじように“20世紀”にある。インターネットもケータイもないあの頃――

*    

 私はプロレスが何よりも大好きな子どもだった。私の友人たちもプロレスが好きだった。それだから、教室の片隅にはたくさんのプロレス技があふれていた。そこにはじゃれあいといじめの境界線があり、寛容と怒りの境界線があった。どこまでが遊びで、どこからが本気なのか。どこまでを許して、どこから報復すべきなのか。プロレス技をかけ合う私たちは、そういう子ども特有の野生にも似た状況判断をしながら、下校までにいくつか組み込まれている休み時間を過ごしていた。
 
 ある日のことだ。かなりケンカの強いM君が私のズボンをずりおろそうと、ふざけて襲いかかってきた。M君の強さは、おそらく学年で4位くらいだった。こう書くと、たいていの男の人はわかってくれるかと思う。そう、あなたの小学校で言えば、“あいつ”くらいの強さの男だ。
 
 M君にズボンを脱がされないために、背後からやってきた彼の頭部を、私は“ヘッドロック”でとらえた。「本当のヘッドロックが決まればギブアップがとれる」とアントニオ猪木がいう、プロレスを象徴するあの技だ。
 私のヘッドロックは、思わぬ偶然からか、完全にM君の頭に決まった。私は学年最強順位争いには興味がなく、スポーツにも、学校そのものにもまったく興味がなかった。そういう男が強烈な技をかけてきたことにM君は驚いたはずだ。私も突如はじまったこの戦いに恐怖を感じていたが、その気になれば誰とでもやってやるつもりでいたので、両腕にも自然と力がこもった。ヘッドロックをかけたまま床に腰を落とすと、日頃仲の良いM君だったが、彼の悪ふざけへの怒りがふつふつと沸き上がってきて、しばらく締めつづけた。M君は痛みと圧力で身動きができないようだった。
 
 ふと我に返った私は、ヘッドロックをほどいた。しばらくして、M君は逆上した顔つきで私に襲いかかってきた。私はM君の気持ちが痛いほどわかった。技の痛みへの怒り。それから、 最強順位ランク外にいるはずの私に抑えつけられ、無様に床でもがいていた姿を、友だちや女の子たちに見られた屈辱。私はM君と仲が良く、彼が転校してきた当初から彼の家に行き、彼の誕生パーティーに出たり、いっしょにプラモデルを買ったりしていたので、余計に彼の気持ちがわかった。
 
 M君は俺を殴る権利がある。俺は先に強烈なヘッドロックをかけた。だから殴れ。私はそう思った。左目に一
発。M君の強烈な右ストレートが入った。視界がぼやけ、あっという間に、本当にパンダみたいなあざが、目の周りに広がった。次の授業は、たぶん5時限目だったと思う。私は左目を手で隠し、先生にあざがばれないようにした。あざがばれると、M君が連行されてしまう。私はヘッドロックをかけ、M君はパンチ一発の反撃で職員室へ連行。親への連絡。それでは共に戦った同士の結末としては、あまりにも差がありすぎる。まあ、もとはといえばあいつが私のズボンを下ろそうとしたのが原因なのだが。
 
 私は家に帰り、当然ながらあざを見つけた両親に、「机の角で打った」と答えた。
 翌朝登校すると、M君が下駄箱のところで何か話しかけてきた。何を言っていたのかは覚えていない。ただ私は「思いっきり殴るなよな……」そんなことを言ったはずだ。M君は、殴打事件の犯人としてつかまらなくて、ほっとしていた様子だった。当時は、まだまだ学校のなかに体罰の網が敷かれていたし、じつはM君は裕福な家のおぼっちゃんだったからだ。私は奇妙な充実感を覚えていた。プロレス的にいえば、「相手の技を受け切った」という充実感だ。格闘技でいえば、私は無様な敗者だ。古典的なプロレス技で一矢報いたものの、右ストレートというリアルな殺し技で、あっという間にのされた。

 だが、私はそれが来ることを知っていて、正面から受け止めたのだ。私も技をかけたのだから、奴にもかける権利があった。そして、友人とはいえ学年最強順位4位のやつの本気のパンチを受けて、泣きもしなかったし、失神もしなかったのだ。そればかりか、彼が私を殴ったという事実さえ受け切って、教師たちにはばらさなかった。
  
 そういうことは、私がM君に殴り勝つことよりも、重要なことだった。相手の技を受け切る。それがプロレスだ。
 今の子どもたちは、どんなプロレス技で遊んでいるのだろう? おそらく、もうプロレスではない。K−1のハイキックや、PRIDEのパウンド(マウントパンチ)を真似ているだろう。ひとたび戦いになったら、相手に馬乗りになり、そして失神するまで殴り続けるのだろうか?「俺も逆水平チョップを打つからお前も打て」と言うかわりに、突然カッターで首にきりかかってしまうのだろうか?
 
 プロレスはたしかに下火だ。もうどうしようもないほど、格闘技に圧倒されている。だが、それでも、あの光に照らされた四角いジャングルは、今でも僕らにこう言うのだ。汝、プロレスを知れ! 恐怖を克服しろ! 汝の肉体を持って相手の鍛えたところにぶつかり、汝の鍛えたところを持って相手の技を受け切るがいい??!!

 


 事件のニュースが別のニュースに切り替わり、呆然と昔の記憶をさまよっていた私は、M君についてあることを思い出した。M君は大の全日本プロレスのファンだったのだ。いっしょに会場にも行ったことがある。彼はジャンボ鶴田の大ファンだった。ということは、M君、あの時の君の反撃はやっぱり“ジャンピング・ニー”であるべきではなか
ったのか? 全日ファンのくせに、右ストレートはないぜ、M君。  

 

   photographer 重松みさ

 

name: 佐藤憲胤 ( Norikazu Sato )
birth: 1977年福岡市生まれ。
prof: ライター。『サージウスの死神』で第47回群像新人文学賞優秀作を受賞。作品は2004年「群像」6月号に掲載。